歴史叙述と文書公開

 米国公文書館の資料公開によって従来知られていなかった戦後日本に関する事柄が近頃たてつづけに報道された。
 一つ目は、戦後CIAが辻政信ノモンハンガダルカナル戦の当事者)や児玉誉士夫(右翼の巨頭で、ロッキード事件被告)を情報提供者として利用していたが、その内容は必ずしも信頼度の高いものではなかった、というもの。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070225-00000016-yom-int


 二つ目もやはりCIAが河辺虎四郎(参謀次長)や有末精三(旧陸軍の情報将校)を使って、情報収集や反共工作を行っていたが、必ずしも十分な成果が上がらなかった、というもの。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070226-00000008-jij-int


 三つ目は服部卓四郎(参謀本部作戦課長、終戦後『大東亜戦全史』を書く)が中心となって、再軍備に消極的だった吉田茂首相を暗殺し、代わりに鳩山一郎を担ごうとするクーデター計画が1952年の夏頃にあったというもの。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070226-00000077-jij-int


 これらの報道はソースが重複しているのかもしれないけれど、よく分からない。一つ目と二つ目の話は春名幹男による調査報道によってすでに概略的には解明されていたところだが、アメリカの諜報機関と旧軍関係者の実際を補足するものとして興味深い。また、三つ目は初耳の事柄だが、史料本体を見てみないとどの程度真剣に検討されたクーデター計画だったのかは、速断できない。
 ところで、こうした米国での資料公開によって日本史の新事実がしばしば明らかになる、というこの現象について、Jodorowskyさんが「『日本の真実』は常に米公文書で明らかになりますね」というコメントをApemanさんのところでしていた。そこで、この問題について日本の歴史家がどのように考えてきたか、ちょっと整理してみたい。
【速報】服部卓四郎ら、吉田茂暗殺・クーデターを計画!? - Apeman’s diary


 たしかに日本の政府資料公開の程度は欧米に比して低い。この背景には、敗戦直後に資料を組織的に処分してしまって現物が残っていない、また存在していていたとしても公開することで藪蛇になりかねない敗戦国固有の事情があり、さらには民主的統治の伝統が根付いていない、など複数の要因が考えられるが、とにかく、資料へのアクセスが容易でないのは事実ではある。この結果、ついつい欧米の資料に基づいて日本史を書くというという道を選んでしまうことになる。カレッジ・パークにある米国公文書館を訪ねると、アメリカ人研究者の他に日本人とドイツ人が目立つことに気づく。両国が先の大戦の敗戦国であり、アメリカに占領され、冷戦の前線であったことを考えれば、日独の研究者がアメリカの文書館に日参している事情も納得できる。そもそも閲覧室の一角を「占領」して資料のデジタル化に勤しんでいるのが日本の国会図書館なのだから、米国詣では一種の「国策」とさえいるのかもしれない。
 それでは、こうした現状に対して日本の歴史家たちはどのように考えているのだろうか。この点に関して、日本近代史の加藤陽子は「証言」や「資料」を墓場まで持って行くことを美徳とせず、きちんと後世に残していくのが公人の責任ではないか、と戦中の指導者の身の振り方に触れつつ、資料の保存と公開の必要を切実に訴えている。また中国外交史の川島真も、特定国の政府資料がより多く公開されアクセシブルであることによって、その国が歴史叙述の国際的な趨勢にもデ・ファクトに影響力を行使している状況を指して「アーカイバル・ヘゲモニー」と呼んで、問題提起している。日本が資料公開を(どのような理由にせよ)渋ってきたことが、歴史観歴史認識が互いに試される国際的なアリーナにおいて不利に働いている、という指摘である。
 他方で、日本史を語るにあたって欧米の文書を早くから利用してきた日本の歴史家たちが、こうした問題に無反省だったわけではない。入江昭細谷千博五百旗頭真秦郁彦といった外交史家は、「外国(語)の文書で日本史を語る」というある種の捻れを回避するために、複数国の資料を博捜し、対照させるマルチ・アーカイバルな手法を採ってきた。これは史実を解明するにあたってその確度を向上させる手法の一つであるが、それと同時に歴史叙述を多角化する手段としても有効である。もちろん資料の多国籍性が即歴史叙述の多面性を保証するわけではないが、複数の出自をもつ文献を交錯させることは、「日本―外国」といった二元的な区別の意味を小さくし、リアリティの厚みを増すことにつながるはずである。
 ところで、そもそも外国の文書館詣でをしなければある時期の日本外交史は成り立たないのか、という反省もありうる。もちろん、やりようによっては不可能ではない。伊藤隆御厨貴のように、長い時間を掛けて信頼関係を築くことで個人蔵の資料を公開してもらったり、さらには半ば芸能的な巧みさで当事者から聞き取りしたものを文書化し、研究者に供している歴史家もいる。安全保障のような資料接近のハードルの高い分野でも、坂元一哉のように米国文書から日米安保をめぐる新知見を導き出す手堅い経路もあれば、佐道明広のようにオーラル・ヒストリーの手法で戦後の防衛政策を叙述することもできるはずである。
 麻布の外交史料館にも三〇年ルールはあるし、半蔵門アジア歴史資料センターでは政府系文書館で各自デジタル化された文書がまとめてネット上で公開されている。また、上に述べたようにマルチ・アーカイバルな接近やオーラル・ヒストリーによって、「外国(語)の文書で日本史を語る」の欠を補い、その弊を避ける取り組みもなされてきた。たしかにNSAのヴェノナ文書やモスクワのKGB文書の公開はある種の歴史家に陰謀史観のリソースを与えたけれども、それは「外国(語)の文書で日本史を語る」問題の水準の低い事例であって、上述のような歴史家の努力とは到底同断できるものではない、と考える。

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